定例下戸飲み会




居酒屋『かっこう』は爆弾のブローカーであるカナヤから教えてもらったみやこにとってお気に入りの店のひとつだ。歓楽街である金它かなへび通りから一本外れた裏通りにあるため地元の人間しか来ないローカルな店ではあるが、木製造りの店内はその古さと温かみが心地よく、適度に賑やかで何よりも提供される食事と酒が美味い。

都は酒に弱いので恋人の田子谷たごやからは口酸っぱく「外で飲むお酒は一杯まで」と言われているが、まさかあの男もさすがに居酒屋の中にまでは監視カメラを付けていないと信じて今夜は三杯は飲む心積りでいた。

店に入ると監察医の迎崎むかえざきいのりは先に到着していた。彼は壁際のテーブル席に座っていて、都を見ると笑顔で手を振った。いつもと同じグレーのスーツのジャケットだけ脱ぎ、おしぼりで丁寧に手先を拭いている。リムレスの眼鏡は最近買ったものだろうか? 彼の涼やかな目元によく似合っていた。

「お待たせしました、迎崎さん」

「いいえ、私も今着いたところです。都さん、何を頼みますか?」

普段は「迎崎先生」「都警部」と呼び合っているが、互いの職業柄もあって仕事以外で会う時にはさん付けで少しフランクに話すようにしている。

差し出されたメニューを指でなぞり、都は少し悩んでから栃木の純米吟醸である鳳凰美田の冷酒をロックで頼んだ。

「迎崎さんは何にするんですか?」

「そうですね、私はみかん酒の炭酸割りにします」

祈は意外に甘党だ。甘い酒の宛てに甘いデザートを頼んだりもする。都は以前、そんなに甘いものが好きなら胃炎になる前にコーヒーもミルクで薄めればよかったのにと祈に対してぼやいたことがあるが、「激務の時は苦いコーヒーで無理矢理目を覚ますしかないでしょう」と言い返され何も言えなくなってしまった。都も梔子署の多忙時には同様の愚行……もとい気つけを行うからである。

「私は揚げ出し豆腐が食べたいです」

「いいですね。私も同じものを頼もうかな……あっ、海老と冬瓜の餡掛けがある。こっちも気になりますね」

「そちらもいいですね、両方頼んでシェアしましょう」

二人でいくつか適当な料理を注文し終えると、丁度酒とお通しが運ばれてきた。お通しは桜海老と蓮根の味噌和えだった。

祈と軽くグラスを合わせて乾杯すると、冷えたグラスになみなみと注がれた鳳凰美田を口にする。果実のような爽やかな香りと芳醇な甘味に感嘆の息を漏らす。祈が頼んだみかん酒のソーダ割りは奈良産のあらごし果実酒だろう、しゅわしゅわと弾ける泡の間に蜜柑の粒が浮かび遊んでいた。

「最近はどうですか、胃の方は」

都が問うと祈ははにかむようにして微笑み、蓮根に箸をつける。

「お陰様で……かなり良いと思います。ああ、最近は都さんに教えてもらったカフェでよくカモミールティーを買ってから出勤するんですよ」

「それはよかった。お顔色も以前と比べてかなり良いですね。眠れていますか?」

一時の死人のような青ざめた祈の顔を思えば、彼の体調が快方に向かっているのは明らかだった。なんなら少し頬もふっくらとした気がする。食事もきちんと摂っているのだろう。

「ええ、生活習慣に関しては兄が厳しいので、夜も大体十二時前にはベッドに入っていますよ。自分は放っておくと何日もアトリエに篭もり切りの癖に、私の体調に関してはことうるさいんですよ、あの男は」

愚痴のような口調だが、祈の頬は嬉しそうに緩んでいる。祈の兄には会ったことがないが、彼の話を聞いていると祈は実兄に対して並々ならぬ愛情を抱いているようだと都は思う。

「私も同じようなものです。以前は食事なんぞ適当に済ませていたのですが、恋人がこまめに料理を作るせいで最近少し肥ってしまいました」

「ふふ、惚気けますねえ。まあ、田子谷さんは世話焼きですからね」

飲み会の度に車で迎えに来ては甲斐甲斐しく世話を焼く彼の恋人を思い出し、祈は苦笑した。

「惚気けてなんかないですよ。あれは強引で押し付けがましくて束縛野郎で、その癖さも自分はあなたに従順ですという顔をするんです」

「でも都さんは田子谷さんのそういうところがお好きで一緒にいるんでしょう」

祈の言葉に都は目を見開いて、そしてグラスの中の酒を一気に煽った。

「あんなヤツ全然好きなんかじゃありません!十も年下の癖に生意気で全然可愛くないし、ねちっこいし性格悪いし」

「うふふ」

「あ、信じてないな迎崎祈……ッ」

テーブルに揚げ出し豆腐と、次いで海老と冬瓜の餡掛けの鉢が置かれる。都は料理を持ってきた店員にさっきと同じ酒を頼むと、祈の方に向き直った。

「迎崎さんだってお兄さんを貶す割にはお兄さんの話しかしないでしょう」

「だってみそぎは私のものですから」

祈は愉快そうに目を細め、眼鏡のテンプルに指で触れた。

「兄を貶していいのは私だけで、兄を愛でていいのも私だけなんですよ」

かなり横暴なことを宣う祈をジト目で睨みつつ、海老と冬瓜の餡掛けを小皿によそう。とろりと餡のかかった冬瓜を切り分けて口に運ぶと、素朴で温かい出汁の味が空腹の胃に染み渡った。

「……私もあなたくらい素直な人間になれればいいのですが」

「まさか、私が?とんでもない。私は捻くれた嫌な人間ですよ」

祈はグラスに目を落としたまま自嘲気味に口端を歪めた。

「兄を前にするとなぜか意地が悪くなってしまうんです。本当は与えられる優しさに応えたいのですが」

────それは……好きな子は虐めたくなるというやつなのでは。

都はそう思ったが、祈の機嫌を大いに損ねる気がしたので口には出さず、代わりに湯気の立つ揚げ出し豆腐を一つ頬張った。次の酒がカウンターに置かれる。祈もグラスが空になったらしく、店主に桃のハイボールを頼んだ。

暫くは二人でたわいもない話をしていたが、ふと祈が神妙な顔つきになり、グラスをテーブルに置いた。

「都さんはその────田子谷さんとどこかに一緒に出かけたりしますか?」

「デートの場所……ってことですか?」

『デート』という直接的な言葉に、祈は照れ隠しなのかしきりに眼鏡の位置を指で直した。

「ええ、まあ……デートというか……男性同士で出かけるならどこがいいのか、とか……」

都は酒を一口飲むと、朱に染まった目元を細めた。

「うーん、俺は植物が好きだから光司こうじがいっつもガーデンショップとかに連れてってくれるけど……迎崎さんのお兄さんは何が好きなんですか?」

「あ、相手が兄だとは言っていないでしょう」

祈は慌てて訂正しつつも眉根を寄せ、しばし考え込む素振りを見せた。

「兄の好きな物……あの人は花も好きだし、絵を描くのも見るのも、本を読むのも服を選ぶのもなんでも好きですね……」

「じゃあ行くとこいっぱいあるじゃないですか。お兄さんの気分に合わせて連れてってあげたらいいんですよ……光司はいつも俺にそうしてくれてる……」

都は欠伸をひとつして、再びグラスを煽った。グラスの中が空であることに気付き、店員を呼ぶ。

「すみません、これと同じの……」

「そろそろチェイサーも挟んでくださいね!」

背後から現れた田子谷が都の手からグラスを奪い、代わりに水の入ったコップを手渡した。

「あぁ?相変わらずうるせぇなあお前は……いーじゃん二杯くらい」

「次でもう三杯目ですよ、優作ゆうさくさん。あ、こんばんは迎崎先生!」

にこりと人のいい笑みを浮かべる田子谷に、祈も笑顔を返す。

「どうも、田子谷さん。いつもありがとうございます」

「こちらこそ!優作さん、なかなか同性の友人ができないので迎崎先生のことをすごく気に入ってるんですよ。仲良くしてくださってありがとうございます」

田子谷はふにゃりと脱力している都の肩を支えると、ああ、と思い出したように付け加えた。

「そういえば駐車場でお兄様がお待ちになられてましたよ!」

「え、禊が?電車で帰るって言ったのに……」

思わず立ち上がろうとしてよろめく。まだ二杯目なのに思いのほか酔いが回ったらしい。

「迎崎先生は座っていらしてください。外のお兄様に声を掛けておきますね!」

田子谷はそう言うと伝票を持ってさっさとレジに向かってしまった。

「あの、お金を……」

「日頃のお礼に奢らせてください!」

そうは言っても田子谷は毎回「日頃のお礼に」と代金を支払ってしまうのである。警部補なんてそこまで高給取りでもないだろうに、律儀な男だと祈は謎に感心した。

────そういえば、田子谷さんは何故都さんが飲んだお酒が二杯だと知っていたんだろう?

ふと違和感が脳裏を過ぎるも、禊が祈を探しておろおろと店に入って来る姿を見つけたことでその疑問は霧散した。





「お前さぁ、店にもカメラかなんか仕掛けてんの?」

田子谷の愛車であるブロンコの助手席へと座らされると、都は少し困惑気味に恋人を一瞥した。

「店に迷惑だからさすがにやめておけよ」

「お店にカメラなんて仕掛けてませんよ?仕掛けているのは盗聴器で、場所はあなたの鞄です 」

にっこり、と擬音が付きそうなほど満面の笑みを浮かべた田子谷に都は呆れて視線を車の窓へと逸らした。

「だるっ、陰湿束縛変態野郎」

「俺のそういうところが好きなのでは?」

「あれは迎崎が勝手に言ったんだろうが!!」

罵声と共に田子谷の肩を強めに殴るも、返ってきたのはこめかみへの軽い口付けだけだった。毒気を抜かれ、都は車のシートに体重を掛けて沈み込む。

「……聞いてただろうけど、俺だって素直になりたいとは思ってる」

「俺はあなたの素直じゃないところも大好きですよ」

田子谷は眉を下げて苦笑する。都に言った言葉は気休めではなく彼の本心だった。薔薇の花は棘を抜かれても尚、気位が高すぎるくらいの方が愛おしいのである。

「……迎崎先生には本当に感謝しなきゃいけませんね。あなたの可愛い部分をこんなに引き出してくれるのだから」

すうすうと助手席で寝息を立て始めた恋人の頬を撫で、田子谷は相変わらずの屈託のない笑みを浮かべるのであった。



(終)



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