私が人を殺したいと思うようになったのは中学二年生の頃でした。別に家族と不仲だった訳でも、世の中に不満を感じていた訳でもありません。ただひたすらに、強い衝動を感じていたのです。それは私にとっては少し遅い性の芽生えでした。自身の嗜好に気付いてからは、毎夜のように学年で一番色白で貌の美しいクラスメイトの首を絞め殺す妄想ばかりをして自身を慰めていました。
白い肌が更にチアノーゼで紫に染まり、苦しげに目を剥く姿を見てみたい。小鹿のような靱やかな脚でじたばたと無力に藻掻いて、首に掛かった私の手を必死で引っ掻いて、そして生命を枯らして抜け殻になる様を真近で眺めたいとずっと思っていました。
私の衝動は常に美しい人間にのみ向けられました。女性でも男性でも、整った美貌と白い肌を持つ若い人間であれば皆魅力的に見えました。────とはいえ、勿論その衝動を表立って発散することはありませんでした。自身の欲望を叶えることがそのまま凶悪な犯罪行為であると分かっていたからです。
しかし、大学生になってから初めてできた彼女に浮かれた私はある過ちを犯しました。普通の恋愛というものがどういうものなのかよく理解していなかった私は、彼女の部屋に招かれた日につい自身の性的嗜好を打ち明けてしまったのです。
「首を絞めてみたいの?」
彼女は怯えるどころか私を煽るように手を握ってきました。
「いいよ、私ちょっとマゾだし」
彼女と私の間に齟齬が生じていることには気付いていました。私がやりたいのは性行為を盛り上げるためのソフトなSMではなく、命を奪うほどの激しい加虐でした。しかし、差し出された白い喉に必死で自制していたはずの欲望が膨れ上がり、弾けるのを感じました。
結果的に、私は彼女を殺害はしませんでした。首を絞めている最中に正気に戻り、慌てて手を離したからです。
彼女は息をしていましたが、泡を吹いたままぐったりとして目を覚ましませんでした。私は慌てて彼女の家から逃げ出しました。後から噂で聞いた話だと、彼女は脳に酸素が回らない状態が長時間続いたせいで植物状態になったとのことでした。
彼女に申し訳ないとは勿論思いました。しかしそれよりもいつ警察に私がやったとバレるか、その場合どのくらい重い刑罰が課されるのかと強く恐怖しました。
結局警察が訪ねてくることはありませんでしたが、私が彼女と付き合っているのを知っていた少数の友人達は私を疑っているようでした。
大学を卒業後、なるべく地元から離れたくて見慣れた田舎を出て首都圏に就職しました。 そして、私は社会人になって二年目で自身の好みから大きく外れた女性と結婚しました。相手は同じ職場の女性で、肌が浅黒くて平凡な顔つきでしたがお喋りで明るい性格をしていました。彼女と────妻と過ごしていると私の中の恐ろしい衝動が霞んでいくようで、酷く安堵しました。
しかし、その平穏はまやかしに過ぎませんでした。妻が産休に入った途端、性欲の捌け口を失ったせいなのかそれともナーバスになった彼女との喧嘩が増えたからなのか、なにかにつけて私の中の衝動が強く首を擡げるようになりました。
私はこっそりマッチングアプリを使って相手を探すようになりました。勿論、見つけた女性とはセックスだけをするつもりでした。妻だって私が人を殺すのに比べればアプリでの浮気くらい大目に見てくれるはずだと自分に言い聞かせて好みの女性に手当たり次第にメッセージを送りました。
奇跡的にマッチングした少女はまだ十九歳の女子大生で、肌が白く艶やかな長い黒髪をしていました。一見するとマッチングアプリで男を漁るようなタイプには見えない、清楚な印象を受ける少女でした。
ホテルの部屋に入ると、彼女は「三万円」と提示してきました。お金を取るのかと驚きましたが、それなら彼女が私のような年上の男と会うのも納得がいきました。
「お金を払うのはいいけど、それなら少し首を絞めてもいい?」
私が頼むと、彼女は少しだけ悩んで「追加でお金をくれるなら」と言いました。その時には既に私の中で彼女を殺すことは決まっていました。
数年振りの首絞めは────いや、大学の時の彼女は殺すつもりではなかったので────凄まじい快感を私の脳に刻み込みました。
少女は面白いほどにじたばたと藻掻き、恐怖に満ちた瞳を見開き、細い喉を震わせて必死で逃げようとしました。
私は強く体重を掛けて一心不乱に彼女の首を絞めました。彼女の茶褐色の瞳に私の血走った目が映っていました。
やがて少女は嘔吐くような素振りを数回見せて、だらりと脱力しました。まだ彼女が生きていることを確認して、私は彼女を犯しました。
おそらくこの少女はもう目を覚まさないでしょう、大学の時の彼女と同じように。それならいっそどこかに遺棄すべきだと考えました。
私は怨生山という心霊スポットとして有名な山に車を走らせ、中腹まで行って少女の死体を崖から深い谷底へと落としました。夏なのに虫一匹すらいない、酷く気温の低い山でした。誰かの視線を感じるような気がして、私はしきりにきょろきょろと辺りを見回しながら車に戻りました。
少女を殺した直後は肝が冷えたのに、一か月経ってニュースにすらならないことを知ると私はまた次の相手を探し始めました。前回と同じアプリは使わず、今度はネットの掲示板でマゾ気質の女性を探している、と書き込みました。
すぐに相手が見つかるとは思っていませんでしたが、驚いたことに書き込みの二日後に「マリ」と名乗る女性からメッセージが届きました。アプリと違って写真が無いので少し不安でしたが、「首を絞められるのが好き」という彼女のメッセージで会うことを決めました。
土曜日の夜、彼女に指定された「Little egret」というバーで落ち合いました。彼女は────マリは今までの人生で出会ったどの女性よりも美しく、私の理想の姿をしていました。滑らかできめ細かい肌は光を当てれば静脈が見えてしまうのではないかと思うほど透き通った白色でした。緩くウェーブした黒髪のショートカットが逆に彼女の線の細さを引き立てていました。そして特に印象的な、艶やかな黒い睫毛に縁取られたアーモンド型の瞳────どこか蠱惑的な光を宿すそれと目が合って、私は息を飲み、暫し黙り込みました。
「────あの、貴方がお約束した 飯座木 さんですか?」
少し低い澄んだ声で彼女は私に問いかけました。私はまだ彼女の美貌に圧倒されたまま、黙って頷きました。
────こんなに美しい女だったなんて。
白く細い首に目がいきました。今すぐにでも両手を掛けて、骨が折れるまで首を絞めたい。
強い衝動が体の内側から引っ掻き暴れ回るのを感じました。
マリは緩く口角を上げ、絵画のように微笑しました。
「ふふ、緊張していらっしゃるんですか?」
「────ええ、その……こんなに綺麗な人だとは……」
マリは細い指で私の手を取って、カウンター席の隣に私を座らせました。彼女のつけている香水でしょうか、甘く香る芳香に心臓が高鳴るのを感じました。
「何か飲まれませんか」
「あ────ええと、じゃあ……ジントニックを」
マリはバーテンダーにジントニックと、自分の分のシャンディガフを注文しました。
目の前にジントニックのグラスが置かれると、私は緊張で渇いた喉に酒を流し込みました。そして、薄い唇をシャンディガフで濡らすように少しずつ舐めているマリに体を向けました。
「────本当にその、マリさんは……私でよかったんですか」
私の声は恥ずかしいほど震えていました。私は年甲斐も無く、マリに一目惚れをしていたのです。今晩だけであっさり殺してしまうのは惜しい。私は妻が出産のために実家に帰ったら、マリを自宅に監禁してじっくりと嬲り殺すビジョンを思い浮かべていました。
酒が回ったのか頭がふわふわとして、私はカウンターテーブルに肘をつきました。
「……貴方がよかったんです、飯座木俊哉さん」
彼女は華奢な指で私の手の甲をそっとなぞり、妖しく笑いました。私は朦朧とする頭で、彼女に名前を呼ばれた悦びと────苗字しか教えていないのになぜ彼女が下の名前を知っているのだろうという僅かな疑念を覚えました。
「……チッ、まだ眠らねえのか。意外としぶといな」
忌々しげな男の声が聞こえたかと思うと、後ろから頭を掴まれ、テーブルに強く叩きつけられました。
私は脳震盪を起こしたのか視界がぐるりと一回転して、そのまま気を失いました。
目を覚ますと、私は何か長方形の箱の中に寝転がるようにして仰向けに横たわっていました。体を起こそうとして、頭と四肢が何やら金属の枷で固定されていることに気がつきました。
「おい……、誰か助けてくれ!」
私の叫びは耳障りなほどに大きく反響しました。どうやら狭い部屋の中で拘束されているようでした。
暗闇の中で、ふ、とため息のような小さな笑い声が聞こえました。私は必死で目を凝らしましたが、視界にはただ真っ黒な闇が広がるだけで何も視認できませんでした。
「誰かいるのか? ……マリさん? 聞こえたら返事をしてください!!」
「……ギャーギャーうるせえなあ。今電気をつけてやるからそう騒ぐなよ」
バーで聞こえたのと同じ男の声がして、やがて部屋の中が明るくなりました。
そこは広さ的には古い車庫か何かのようでしたが、四方の壁と天井、床まで全てブルーシートで覆われているために何の用途でどこにある建物なのかは分かりませんでした。天井にあるぼやけた白熱灯の頼りない明かりに照らされて、私はその部屋の中心に置かれた大きなバスタブの中に、裸で拘束されていました。
その場には私以外に二人の男がいました。一人は日本人にしては少し色素の薄い茶髪の若い男で、高そうな三つ揃いのスーツを着ていました。そしてもう一人は黒いスーツの上にビニールのレインコートを羽織った、恐ろしいほど美しい男でした。
レインコートの男はマリに顔がそっくりでした。私は直感的に彼がマリの本当の姿であると感じました。
「マリさん……!どうかこれを解いてください」
私の言葉にマリと若い男は顔を見合せました。
「────気色悪ぃ」
マリは舌打ちをして、美しい顔を侮蔑も露わに歪めました。
彼は私の拘束されたバスタブの縁に腰掛けると、私の首筋をゆっくりと指でなぞりました。彼の体から漂う甘い香りに私は場違いに興奮して、必死で荒い呼吸を繰り返しました。彼は白い指に金属の長い鎖を持つと、私の首にぐるりとそれを一周巻きつけました。鎖の両端にはゴルフボール大の鉄球が繋がれていました。そして私の首を通した状態で輪になったチェーンに、金属製の細い筒のようなパーツを取り付けました。
「……窒息は三分程度続くとチアノーゼが始まり、おおよそ五分で失神する。十分間その状態が続けば脳に障害が残る────お前はそれを知っているか?飯座木さんよお」
私は彼の言葉の意図が分からず首を横に振ろうとしましたが、頭を緊箍児のような細長い金属で固定されているためにそれは叶いませんでした。
彼は薄い唇に笑みを浮かべ、私の首に繋がったチェーンを強く引きました。鎖の片端の鉄球が筒状のパーツに引っかかり、鎖の輪が細まると同時に首が絞まって私は呻き声を上げました。
「────それじゃ、三分を何セットまで耐えられるかやってみようぜ」
マリは力を込めてチェーンを引き、私の首を絞めました。
息が出来ず、頭の血管がミシミシと音を立てて軋み、頭痛と窒息で眼球が飛び出してしまうかのような錯覚を覚えました。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。
意識が遠のきそうになった時、見計らったようにするりとチェーンが緩みました。私は溺れている人間さながら必死で口を開け、肺が痛くなるほど目一杯酸素を取り込もうとしました。
しかし数回の呼吸の後再びチェーンが絞まり始めました。さっきよりきつく金属の鎖が絡みついて、外そうにも手は動かせず、苦痛により目から涙が伝いました。
マリは目を細め、天使のような笑みを浮かべたまま鎖を引く体に体重を掛けました。
私は白目を剥き、苦しみに悶えました。息が詰まると脳が破裂する錯覚を覚えるのだとその時初めて知りました。また少し鎖が緩んで、安堵と共に息をしようとするとマリはクスクスと笑いながら無慈悲に鎖を締めました。私は辛うじて動かせる胴体を魚のようにのたうちましたが、拘束からは逃れられず無駄に体力を消耗するだけでした。
苦しい、助けて、苦しい、ごめんなさい、許して、許してください。
気がつくと私は心の中で必死で謝罪の言葉を繰り返していました。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
それは大学の時の彼女への謝罪であり、マッチングアプリで知り合った少女への懺悔でもありました。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
勿論、誰も答えてはくれませんでした。私はそれでも必死で謝罪の言葉をまるで呪文のように唱え続けました。
「……あー、飽きてきたな」
マリはぼそりと呟いて、チェーンから手を離しました。私はしゃくり上げながら浅い呼吸を繰り返しました。
「……ぇんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「うるさいな」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
舌打ちをすると、マリは再び鎖を握り強く引きました。
「聞こえなかったのか? うるせえんだよ。手前が謝れば死んだ女たちが帰ってくるのか? え? 違うだろ?」
「じゃあ……どうやって償えば……」
私は掠れた声でマリに尋ねました。彼は少し視線を泳がせ思案していましたが、やがて閃いたらしくぱっと笑顔に変わりました。
「いいことを思いついた。お前の手脚を切り落とそう。安心しろ、すぐ死なないように炙って止血してやる。それからこのバスタブに少しずつ水を張るから、めいっぱい苦しんでから溺れ死ぬといい。それできっと死んだ女共も浮かばれるぞ」
私は────私は震える唇を無理矢理歪めて笑顔を作りました。そうすることしかできませんでした。
私の下らない衝動のせいで、今から払わされる代償の大きさを呪いました。自宅で待つ身重の妻のことをようやく思い出しました。
しかし、後悔しても何もかもがもう遅いのです。マリは部屋に置いてあるロッカーから糸ノコギリを取り出しました。私は死にたくありませんでした。死にたくない。もう苦しみたくない。なんでもするから誰か助けてください。 彼は無情にも叫び続ける私の肩に糸ノコギリの刃を添えると、そのまま勢いよく…………。