骨を沈める

────彼の体はこんなに小さかっただろうか。

笹倉哉秋は真っ白な棺に収められた伯父の遺体を見詰め、煩い心臓の音を落ち着かせようと小さく息を吐いた。

数十年ぶりに逢う愛おしい人は、数十年の年月を経て変わり果ててしまった。骨と皮だけの痩けた躰。かさかさに乾いた肌。何より、もう彼には生命がない。

涙は出なかった。この数十年泣き続け、枯れてしまったのかもしれない。それに哉秋には笹倉佳史の死が現実であると頭ではわかっていても心の内では未だに受け入れることができなかった。

導師たちは挙って伯父の遺体を「聖骸として保管しよう」と提案したが、導師塚本が火葬すべきであると告げるとさすが鶴の一声とでも言おうか、皆黙ってその判断に従った。彼女はまだ若いが、教団内では圧倒的な発言力があった。

甥である哉秋の意見はそもそも聞かれもしなかったが、彼は笹倉佳史の遺体が火葬されることに安堵していた。数十年かけて必死で餓死したのに、亡骸になってもなお教団に利用されるなど伯父が憐れすぎる。無論導師塚本は憐憫で火葬を選択した訳では無いだろう。むしろ次の『れうじえん』を擁立するのに伯父の遺体が遺って権威を持ち続けると邪魔なのだ。

それでも哉秋は彼女に深く感謝を覚えていた。

葬儀は内密に、少人数の幹部のみを集めてルライの園の教義に則って行われた。

その後の笹倉の火葬に立ち会ったのは血縁である哉秋、塚本、そして現在の教祖である大井出と、彼の側近である鉾良だけだった。れうじえんの葬儀であると外部に漏洩しないように、教団の名は伏せ、皆黒い喪服を着て民間の葬儀社が管理している火葬場に向かった。

納骨の前に、哉秋は塚本に尋ねた。

「────れうじえん様の遺骨は教団本部に安置なさるのですか?」

塚本はこくりと頷いた。

「ええ。教団の敷地に碑を建てて、その中に安置させていただきます」

「そうですか。それなら安心です」

哉秋は塚本に笑顔で礼を述べたが、内心は嵐のように荒れ狂っていた。

────教団はあの人の骨まで、私から奪うのか。

そこで初めて泣きたくなった。息を詰め、目を伏せて必死で神妙な面持ちを保とうとした。

「お骨上げです」

火葬場の職員が火葬炉から台車に乗せた灰と骨を運んできた。最近は箸渡しでの拾骨は省略されるらしく、職員が金属製の火箸で足元の骨から順に骨壷に収めていった。

哉秋は全員の視線が職員の手元に向いている間に、台車の端の方にあった小さな骨の欠片をそっと手に握り袖口に隠した。

────れうじえん様は生まれ変わったら何になりたいですか?

幼い哉秋は笹倉の膝の上でそう問うたことがある。その日笹倉が仏教の「輪廻転生」について哉秋に話したのがきっかけの、小さな興味だった。

笹倉は哉秋の黒い髪を撫で、優しく微笑んだ。

────そうだね、私は魚になりたいかな。

────お魚ですか?お魚になったら人間に食べられてしまいますよ。

子どもらしい哉秋の心配に笹倉は苦笑して、首を横に振った。

────広い海の中で人間に食べられてしまう可哀想な魚なんてほんのひと握りだよ、哉秋。それに私は強いから、逆に人間を食べてやるさ。

そう言うと笹倉は哉秋の柔らかな頬に啄むような軽い口付けを落とした。

────この可愛い頬っぺも食べてしまうぞ。

────ふふ、れうじえん様、擽ったい!

葬儀を終えた夜、哉秋は夕匕尸島に帰るための連絡船に乗った。船路は体が冷えるので黒いスーツの上からコートを着込み、船内に続くタラップを登った。

船が出港して暫くしてから哉秋はデッキに出て、手すり越しに暗い紺色の水面を見下ろした。風があまり無いからか、海面はゆったりと僅かに揺れるだけのべた凪だった。

ハンカチに包んで隠し持っていた骨をコートのポケットから取り出して眺める。朧な月の光を受け、青白く光るそれは彼のどの部分かも分からない。────しかし、それでも。

「……魚になって、私を食べに来てください」

哉秋は小さく呟くと、掌に握った骨の欠片をそっと海へと落とした。

骨は船の立てる泡波に消え、一瞬で見えなくなった。

伯父の瞳にも似た真っ黒に凪いだ夜の海を、哉秋はただずっと静かに見詰め続けていた。

(終)