男性って、なんだか汚いと思いません?
いいえ、違います。私はフェミニストじゃありません。ああ、勿論ミサンドリストでもないのです。
ただ私は生理的に男性の見た目が受け付けなくて。顔が整っていても駄目、髪と爪が短くても駄目、風呂に入っていても駄目……多分造形が苦手なんだと思います。
海老のしっぽとゴキブリの羽根が同じ成分だと言われても海老のしっぽは別に平気でしょう? でもゴキブリに触れとか食べろとか言われたら絶対無理じゃありませんか?
私にとって女は海老のしっぽで、男はゴキブリなんです。成分は似ているのに嫌悪感が段違い。見ているだけで皮膚がぞわぞわして、臓腑の底から吐き気がこみ上げてくるんですよ。
実の父親が私が物心つく前に亡くなったのは幸いでした。私も進んで血の繋がった家族を蛇蝎扱いしたいわけじゃありませんから。
でも、そのせいで母は身体を売って私を育てることになりました。最初は普通のホステスだった母でしたが、やくざ者の義父と出会ってからしばらくして、自宅に男を連れ込み性的奉仕を行う代わりに金銭を受け取るようになりました。恐らく義父の指示だったのでしょう。義父はたまに自宅にやって来ては母から金の数割を受け取り、彼女を褒めました。母はまだ若くて、強いものに縋ることしかできませんでした。
私は一度も母を汚いと思ったことはありません。ああ、とはいっても決して魂とか操の話ではありませんよ。不特定多数の男と粘膜接触をしても、女である母のことは不潔に感じなかったのです。幼い時分からやはり男性だけが私の嫌悪の対象でした。
子供の頃の私にとって、一番汚い人間は義父でした。義父は背が高く、いつも髪を丁寧にセットして、少し着崩したスーツで家にやってきました。彼は決して無精髭が生えているとか、肥っていて汚らしいとかそんなことはなかったはずです。でも私にはあの男が最も不衛生で悍ましい生き物だった。母の取る客の男たちも無論汚いと思っていましたが、義父に対する生理的嫌悪とは比べ物になりません。彼に頭を撫でられる度に吐き気で嘔吐きそうになるのを必死に堪え、貰ったお菓子は全て食べずに捨てていました。
私が中学生になり背が高くなると、義父は以前より頻繁に家に訪れては私の体を触るようになりました。
「お前も客取れるかもな。綺麗な顔してるし……そういう趣味の客なんていくらでもいる」
顔を近付けられ、品定めするようにじろじろと凝視されて涙目になった私を、怯えているのだと勘違いしたのでしょうか。義父は嘲るように笑って、私の体を抱きしめました。
「嘘だよ、海。可愛いお前にウリなんてさせる訳がないだろ?」
義父の腕の温度に、香るミントガムの香料に、彼の全てに虫酸が走るような不愉快さを感じました。
私は義父を殺したいと考え始めました。
家にゴキブリが湧いたらどうしますか? 当然殺すでしょう。迷惑だからとか実害があるからとかそれ以前に、なんだか気持ちが悪いからです。直に触りたくはありませんから、何らかの装置が必要です。
────私が「清浄箱」を完成させるまでには五年の年月がかかりました。機械工学や電子工学などの総合的なエンジニアリングを独学で学ぶ必要性があったからです。皮肉なことに義父の仕事の手伝いをすれば悪くない金額が貰えたので、その金で専門書を買っては徹夜で義父を殺すための勉強をしました。
「清浄箱」が完成した日の夜、母に万札を数枚握らせ、言いくるめて外出させました。そして義父を家に呼びました。私は服を脱いで布団の上に座っていました。
「どうした? 海」
義父は甘やかすような口調でそう言いながら、私の頬を掌で撫でました。私は必死で息を止めながら義父の首に抱きついて────動脈に注射の針を刺しました。
かくりと義父の体から力が抜けると、必死で彼の体の下から這い出てトイレに駆け込み、私は便器の中に勢いよく嘔吐しました。義父の体に触れた部分全てが掻きむしりたいほどに気持ちが悪く、虫が這っているかのような不快感に苛まれました。それでも泣きながら用意していた保護服とゴーグル、防毒マスク、ゴム手袋と革の手袋を二重に装着すると、代わりに義父の衣服を全て脱がせました。
奥の自室に義父を引き摺っていき、「清浄箱」の中に放り込みました。そして上から錠を三重に閉め、押しても引いても開かないことを確認しました。
「清浄箱」は全ての面が透明で分厚いプラスチックになっていて、箱の前面以外はその上から更に金属製の板で覆ってあります。プラスチックは水族館の水槽に使われるガラスと同じくらいの厚みなので、いくら義父がやくざ者とはいえ壊すことは叶いません。
私は箱の背面にある大きな金属製のレバーに手を掛けると、力を込めて引きました。
すると、「清浄箱」の側面に取り付けられた機械がヴーンと唸るような音を立てながら動き始めました。私は「清浄箱」の正面へと移動し、装置が正常に作動するかどうか確認することにしました。箱の側面に設置されたホースから透明な液体がどろりと這うように流れ出し、気を失ったまま座り込んでいる義父の足にかかりました。ホースは部屋の両脇にある大きなポリエチレンタンクと繋がっています。
義父は目を覚まし、困惑しながら箱の中で立ち上がりました。そして突然悲鳴を上げました。
液体に浸かった彼の足は、ぽこぽこと泡を立てながら勢いよく溶け始めました。皮膚が溶け落ちて骨が露出し、義父は濁った汚い悲鳴を上げました。
私は左のタンクに設置されているコックを捻り、液体の排出速度を上げました。右のタンクも同じように調整すると、義父は勢いよく流れ込んできた液体にものの数秒で全身が浸かることになりました。
透明だった液体は義父の血で赤く濁り始めていました。見開かれた眼球が血走って真っ赤に染まったかと思うと眼窩からどろりと流れ出て、後に残った赤黒い肉の穴に流れ込んだ液体が彼の体の内部を侵食し、彼の体の組織を破壊しました。
義父の体は肌色の部分がなくなり、赤い筋繊維が露出してまるで小学校にある人体模型のようになっていました。やがてその筋繊維も泡と共に溶け消えて、内部にある臓器がふわりと液体の中に浮遊しました。ソーダ水に漬けたかのように肺や肝臓がぷくぷくと泡を立てるのを私は愉快な気持ちで眺めていました。個々の臓器になってしまえば、義父のことも大して汚いとは思いませんでした。
────私の男体への嫌悪は皮膚にあったんだ。皮膚さえ溶かしてしまえばなんてことはない。
私は義父の服から財布を抜き取り中身を全て盗ると、朝日が昇る前に鞄に簡単な荷物を纏めて家を出ました。
現在私はとある地方都市に住み、清掃業者として仕事をしながら生活しています。職場は女性ばかりで快適ですが、最近私はまた「清浄箱」を作り始めました。
なぜなら、鏡を見る度に汚らわしい男と目が合うからです。そう、おぞましい皮膚を持つ、醜い男。また溶かして綺麗にしなければなりません。いくら私が男を嫌おうが、ゴキブリの羽根は海老のしっぽにはなれませんから。