遺伝子組み換えによりIQの跳ね上がった凶暴な人喰い鶏と進化の中で突然変異した超巨大ズワイガニが死闘を繰り広げたことで有名なヘビーウェルス・ビーチはヘック・シティから66km離れた場所にある(人喰い鶏と巨大ズワイガニについてはTALESに掲載している「Sharehouse with Serialkillers」のepisode16と67をご参照あれ)。奇怪ないわく付きの土地ではあるものの、サファイアブルーの透き通った海ときめの細かい美しい砂浜は毎年夏になると海水浴に訪れる客で賑わうのもまた確かである。
ウィリアムを始めとするシェアハウスのメンバーは、セオ以外の全員が浮かれたアロハシャツ姿で砂浜へと降り立った。ちなみにセオは薄手の黒い長袖パーカーと丈の長いズボンに、同色の日傘を差している。
「わあ、綺麗な海ですね!」
代謝のいいウィリアムは額の汗を手で拭い、手に持っていたビーチパラソルを開いて焼けた砂浜へと突き刺した。ハーマンとニコラスは歓声を上げつつ、早々にアロハシャツを脱ぎ捨てて海パン一枚で海へと入っていく。
その姿を呆れ顔で眺めながら、セオはビーチパラソルの下、ディマが敷いたばかりのビニールシートのど真ん中へ腰を下ろした。
「チッ、浮かれポンチ共め……」
「セオ、大丈夫ですか?」
ウィリアムは顔を顰めるセオにクーラーバッグから取り出した氷嚢を差し出す。
セオは氷嚢を左肩の付け根のあたりに当てて、溜息をついた。日焼け対策はしてきたものの、金属製の義手が熱くなっていて肌と触れ合う部分がヒリヒリする。しかし、折角皆で旅行に来たというのに運転手として同行しているギデオンと共に車で待機するのも癪だった。
「ミャウミャウ!ミャー!」
パラソルから少し離れた波打ち際で、カニを見つけたらしきフォンが興奮気味にディマの袖を引いている。
「わあ、丸くて可愛いカニさんだねえ。……えっ、このカニって……スベスベマンジュウガニ……!?」
「────カニと言えば、ここって巨大ズワイガニが出るとか何とか言ってましたね」
フォンに追いかけ回されるスベスベマンジュウガニを横目で見つつ、ウィリアムが振った話題にセオは渋面を作った。
「やめろ、話題に上げるとマジで出るぞ」
「そんなまさか、出ませんよ!アレってただの逸話でしょう?」
あはは、とわざとらしいほど爽やかにウィリアムが笑った瞬間海辺から人々の悲鳴が上がった。
「巨大ズワイガニが出たぞー!」
地鳴りと共に海の割れるけたたましい音がしたかと思うと、真昼間のビーチにまるで戦車のように巨大な甲殻類が姿を表した。
「ほら!言わんこっちゃねえ」
セオはくしゃりと顔を歪めて天を仰いだ。
「どうすんだよウィル手前」
「じ、自分のせいですか!?」
巨大蟹は泳いで逃げようとしていた観光客の男を分厚い鋏で挟んで持ち上げると、そのまま鋏をばちんと閉じた。
鋏で切られるというよりは、巨大な壁と壁にプレスされる感覚に近いだろう。最早悲鳴すら上げる前に男の体は前中心でねじ潰された。美しいエメラルドグリーンの海に湯気の立つ臓器がボトボトと音を立てて落ち、それと共に海面が悍ましい赤色に濁る。
凄惨な光景を目にしたことで、居合わせた人々の恐怖と悲鳴のボルテージが一気に跳ね上がる。水着姿のままある人は波に流されつつ、またある人は子供の作ったであろう砂の城に足を縺れさせながら蟹から逃げ出そうとする。シェアハウスのメンバーも例外ではない。ニコラスは足の遅いハーマンを肩に担いで全速力で車まで駆け戻った。
蟹はばちん、ばちんと鋏を開閉し、逃げ惑う人々を次々に海の藻屑へと変えていく。
ニコラスが駐車場へと戻ると、車の中には既に他のメンバーたちが揃っていた。運転席で待機していたギデオンが海水と血でずぶ濡れの二人を見て軽く片眉を上げる。
「そいじゃ、逃げるとするか」
「いや、逃がしはしない」
ニコラスはハーマンをそっと地面に下ろすと車のトランクを開け、自分のバックパックの中から牛刀を二本取り出した。
「む、無茶ですよニコ!あんな大きなズワイガニを食べるなんて!」
両手に包丁を構えたニコラスは、ウィリアムの言葉に動きを止めて顔を上げる。
「あれはズワイガニじゃない。外から見える八本の脚に棘のある紫色の体、────タラバガニだ」
「そうなんですか!?」
「ちなみに、タラバガニは異尾下目に分類されるので正確にはカニではなくヤドカリの仲間だ」
タラバガニってカニじゃなかったんだ!という感嘆が喉元まで出かかったが、ここは緊迫した空気を崩しては負けであると考えてウィリアムは言葉を必死で飲み込んだ。
「そういう問題じゃありません!いくら力の強いニコとはいえ流石に勝てませんよ、食い気より命を優先してください!」
「……知らないのか、ウィリアム」
ニコラスはふ、と不敵に笑みを浮かべると、巨大ズワイガニ改めタラバガニに向かって走り出した。
「タラバガニは……!バター焼きにすると美味い……!!」
「すさまじく話が噛み合わない……!」
走り去るニコラスを見つめたまま呆然とするウィリアムの肩に手を置き、ハーマンが首を横に振った。
「もう諦めなよウィリアム。食欲に目が眩んだニコは誰にも止められない」
「皆はいいんですか!ニコが蟹に八つ裂きにされても!」
ウィリアムはハウスメイトたちに訴えかけたが、皆深刻には考えていないのか曖昧に首を傾げるだけだった。
「まァ、いいから暫くここに座って見とけよ」
暢気に頬杖をついて窓ガラスの外を眺めていたセオは、口にバージニア・スリム・ライトを咥えたままウィリアムの方に振り返るとぱちりとウインクをしてみせた。
◇◇◇◇◇
一方、逃げ惑う人々の波に逆らいながら巨大タラバガニに接近したニコラスは、蟹が前方の人間たちを文字通りちぎっては投げちぎっては投げている間に死角となる背中側に移動した。そして蟹の後ろ脚付け根、ちょうど関節となる部分に勢いよく牛刀を突き立てる。
タラバガニは突然体に走った痛みに驚き、挟んでいたビキニ姿の豊満な美女を慌てて取り落とした。そして痛みから逃げようと脚を動かして何メートルか移動する。しかし既に神経まで切られているせいでニコラスが刺した後ろ脚を動かすことはできなかった。振り落とされないように後ろ脚にしがみつきながら、ニコラスは牛刀を握る手に力を込め鋸のように刃を押し引きする。
やがて完全に切り離された後ろ脚の一本が水の中に沈む。一本でも大木の丸太のような大きさである。ニコラスは真っ黒な瞳を心做しか輝かせながら、次の脚へと取りかかった。
ニコラスが蟹の脚八本を全て落とし腹側の前掛け部分を切り取って甲羅を剥がしてしまうまでには十分もかからなかった。露わになった巨大タラバガニの内臓を指で掬って味見しつつどうやって車に積むか悩んでいると、今度は陸地の方からコッコッコッと鶏の鳴き声が聞こえてきた。
『────愚かな人間よ、よくぞ化け物蟹を殺してくれた』
ニコラスは脳内に直接語りかけてくるその声に僅かに顔を顰めた。Amazonで買う中華製のイヤホンのような音質だ。
『感謝するぞ、これで鬱陶しいズワイガニもタラバガニも居ない────このヘビーウェルスビーチは我々鶏のものだ!』
真っ赤な鶏の大群が砂浜に現れ、タラバガニの上に座るニコラスを取り囲んだ。よく見ると彼らは赤い色をした鶏ではなく、皆返り血を浴びて赤く染まっていることが分かる。
『貴様には最初に我々の血肉となる名誉をやろう!』
コケーッコッコッ、と鶏が高笑い……もとい高鳴きをする。ニコラスはその様子を見て弾かれたように立ち上がり────珍しくそのかんばせに満面の笑みを浮かべた。
「なんてことだ。今夜はタラバガニのバター焼きにこんなにいっぱいのフライドチキンまで食べられるなんて!」
その黒い瞳が怪しく光る────人喰い鶏軍団は、元からただでさえチキンな肌に更に鳥肌が立つのを感じた。彼らは遺伝子組み換えにより人の思考を読むことができるが、目の前にいる赤毛の男の脳内は蟹のバター焼きとフライドチキンの美味しい作り方のレシピ、そして付け合わせのサラダのドレッシングを何味にするかというそれだけしか読み取ることができない。自分たち鶏軍団に対する恐怖心は勿論、なんでこいつら直接脳内に話しかけてくるんだ等普通の人間なら当然持つであろう疑問が一切ない。
慄き硬直する鶏軍団の囲む砂浜へ降り立つと、ニコラスは両手に牛刀を構え直し────
◇◇◇◇◇
「────で?どうしてお前は全裸なんだ?」
あまりにも遅いニコラスを心配してビーチに戻ったハウスメイトたちは、人間と鶏と解体された蟹で死屍累々の中、赤く染まった海水に下半身だけ浸かったまま立ち尽くす彼の姿を発見した。ニコラスが言うには海パンが海に流されてしまい、恥ずかしくて動けなくなったらしい。
「血で汚れたから海水で洗おうとして一旦脱いだんだ」
ニコラスは羞恥に頬を染めつつ、視線を泳がせた。
「そしたら大きな波が来て……水着がどこかに行ってしまった」
「お前……なんで同じこと繰り返すんだよ」
セオは呆れつつ、バスタオルをニコラスに向かって投げた。ニコラスはいそいそとバスタオルを腰に巻き、海から上がる。
「命より食い気なのに、全裸は流石に耐えられないんですね……」
着替えとトイレタリーセットを手に仮設のシャワールームへと向かうニコラスを尻目に、ウィリアムは肩を竦めたのだった。