迎崎家の三男




俺はそこそこ器用だ。あぁ、手先の話じゃなくてさ。

手先に関してはてんでダメ。上の兄さんのみそぎみたいに綺麗な絵とか描けないし、真ん中の兄さんであるいのりのような頭のいい仕事もできない。

今の俺は一応ミュージシャン志望ってことにしてるけど、それも夢追い人ならニートより執行猶予モラトリアムあるかなと思ったから。あと、単純に女の子にモテるからっていうのもある。楽器はリコーダーくらいしかできないし、音痴だから歌もあんまり歌わない。強いて言うなら、唯一歌詞を書くのは好きだった。それなら小説家か詩人志望ってことにすればよかったって最近よく思う。

でも、上の兄ふたりに対して不思議と劣等感は無い。親父とお袋は俺のことよく自分勝手だの出来損ないだのって嘆くけど、かなりどうでもいい。俺は俺の人生だけで結構楽しいし……多分自由が性に合ってるのかな。

生活というかルーティンとして、仲良くしてくれる女の子の家に泊まって愛想尽かされたら別の女の子の家に逃げて……っていうのを何年も続けてる。

祈は心配してハローワークとか行かないの、って言ってくれるけど……悪いけど自分がサラリーマンとかしてる姿が想像つかない。

禊は祈と比べて放任だから、「はらいは祓のやりたいことやればいいよ」って言ってくれる。俺もそう思う。

何の話してたっけ、俺が器用だって話だっけ?

「器用」っていうのはさ、まあ簡単に言うと俺って人の顔色伺うのがすごく上手いんだよね。いつも周囲に気遣ってビクビクしてるわけじゃなくて、ああこいつイライラしてるなと思ったら黙ってスーッと距離置いたり、逆に構って欲しがってる奴に構ってあげるタイミングを掴むのが得意。

付かず離れずで、なおかつ好印象を残し続ける人間関係の器用さが俺の才能。

これだけは禊にも祈にもない俺だけの特技だと思う。

今後もこのスキルを上手く使って楽しくのんびり生きられたらそれで満足かな、と思っている。

でも家族の場合はこれが難しくて、近しいからこそなかなか一筋縄ではいかないんだよね。

ふたりの兄である禊と祈の関係がギスギスして……いや、どちらかというと祈が一方的にギスギスを押し付けてるのは分かっていたけど、禊は祈のことが大好きだし祈も本音では禊を尊敬してるからまあ大丈夫だろうって、末っ子の俺はスルーしてた。

それを放置したらやばいのかもって急に思ったのは、祈が結婚するって決まった頃だった。

祈から婚約を報告された時、俺は禊は荒れるだろうなって思った。

実際にかなり怒って、何億とかするバカ高い絵を破ったりしたらしい。芸術家って本当に激情で生きてるんだなってびっくりした。

でもそれよりも驚いたのは、しばらくして禊が絵を描くのぱったりやめてしまったことだった。

しかも、禊は自宅の寝室から突然一歩も出てこなくなった。天岩戸に隠れた天照大御神みたいに。

親父とお袋は、この世の終わりってくらい嘆き悲しんだ。俺にはさっぱり理解できないけどふたりにとっては禊が世界の全てだったんだと思う。

もうおしまいだとか言っててかなりグロッキーな感じだったけど、それよりやばかったのは次男の祈だった。

あいつは笑っていた。号泣する親父とお袋を見て。口元はハンカチで抑えてたけど、目が明らかに笑ってた。

嬉しそうに、馬鹿にするようにふたりを見下ろしてた。

俺はかなりゾッとした。もしかして祈の精神が一番やばいのかもしれないって思った。



その三日後に警察が来て、親父とお袋が首吊って死んだって聞かされた。

まあ俺にとってはそこそこショックだった。ふたりから愛されてるな~と思ったことはあんまりないけど、それでも血の繋がった親じゃん。

子どもは三人とも生きてるっていうのに、ただ禊が絵を描かなくなったってだけですぐ死んじゃうなんて。

祈は葬儀の時、泣いていた。こういう時は泣いていた方が都合がいいのだとあとからこっそり教えてくれた。俺は悲しくもない癖によく涙出るなあって感心してた。

両親の葬儀には若い綺麗な刑事さんがひとり来て出席した。葬儀の後、彼は親族用の控え室に挨拶に来て、俺と祈に話を聞きたがった。

「検視の結果事件性はありませんが……自殺の原因に何か心当たりはありますか」

そう聞かれて、俺と祈は顔を見合わせた。

俺は禊のこと言っていいのか悩んで、結局黙ってた。

祈は刑事さんと知り合いなのか、目配せをした後ふたりで席を立って部屋の隅で何かひそひそ話してた。

それだけで事情聴取は終わった。祈はその後すぐ用事で親戚に話をしに行って、俺と刑事さんだけが残った。

刑事さんは最初は女の人だと思ったけど、実際に話してみたら綺麗な顔をした男の人だった。睫毛の長い横顔に少し見惚れていたら、その人がこっちを向いて視線がかち合った。

「あ……すみません……」

「いえ。……祓さんにいくつかお聞きしたいのですが……よろしいですか?」

刑事さんは俺の隣に座り直した。刑事さんからは仄かにフローラルっぽい甘い匂いがした。

あれっ、これ昔付き合ってた女の子が付けてたジバンシィのプチサンボンじゃない?と気付くと急にドキドキして、俺は少し視線を泳がせた。

「あなたのお兄さん────祈さんって、人を殺せるような人ですか?」

上の空だった俺は突然の物騒な台詞に驚いて、慌てて否定した。

「いやいやいや、無理だって!ノリくんにそんな度胸無いよ!虫も殺せないような人だし!」

ふむ、と顎に指を当てて、刑事さんは少し首を傾げた。

「……では次に、祈さんが家族のお家に泊まって服も借りるとしたら誰だと思いますか?」

質問の流れが分からなくて、俺は悩んだ。俺に家って呼べる家はないし、祈は親父とお袋のいる実家には正月しか帰らない。すごくレアケースだろうけど、残る相手は禊しかいない。でもそれに何の意味があるのか……とにかく、祈が逮捕されるんじゃないかと気が気じゃなかった。

「……祈って疑われてるの?」

俺の言葉に刑事さんは苦笑して、静かに首を横に振った。

「いいえ。少し気になることがあるだけです……迎崎先生にはお世話になってますから」

世話になっていようと犯人なら捕まえるんじゃないのかと思ったけど、刑事さんの言い方はまるで世話になってるから犯人だったとしても捕まえない、って感じだった。

この刑事さんの内心もなんだか読めなくて怖かったけど、まあ美人だし祈を害するつもりがないのなら正直に話してもいいのかも、と俺は思った。

「俺は知り合いの女の子の家にずっと居候してるし、祈は実家にはあんまり寄り付かなかったと思う。泊まるなら長男────禊のところかな」

「……禊さんと祈さんの仲は良いですか?」

俺は何と言えばいいのか悩んだ。しばらく腕組みしたままううんと唸っていたけど、刑事さんは急かすことなく待ってくれた。

「……仲良いとか悪いとかじゃないんだよね、みーさんとノリくんは。もう、ふたりだけの世界って感じ。ずっとお互いのことしか見てないけど、それを相手に悟られないようにしなきゃって隠し合ってるんだよ……わかる?この感覚」

刑事さんは少しの間左上を向いたまま思案した。そして、くすりと小さく笑った。

「いや、すみません。祓さんの発言の意図は分かります。あなたが嘘を言っていないことも。正直に話してくださってありがとうございました」

刑事さんは天使みたいに微笑んで、席を立った。

そのまま彼は部屋を出ていって、プチサンボンの甘い匂いだけが俺の周囲にまだ漂っていた。

俺はその日の内に刑事さんと同じ香水をつけてた大学時代の元カノに連絡した。

結局夜はその子の家に泊めてもらうことにして、予定より早めに葬祭場を後にした。

美人とはいえ男で抜きたくなかったってのもあるけど、葬儀中も親戚がひそひそ禊の陰口叩いてて、ついでに祈を勝手に哀れんでて、不愉快だったから早くここから逃げたかった。

葬祭場を出る前に祈と少しだけ会話をした。

「祓くん、もう行くんですね」

「うん、みんなうるさいし……ノリくんは今日はこの後どうするの? ここに泊まるの?」

祈は眼鏡の奥の目を細めて嬉しそうに笑った。

「兄さんが心細いだろうから、兄さんの家に泊まります」

俺は祈のその笑顔にまた背筋がヒヤッとするのを感じた。

ここはそっと黙っておく場面だって分かってたけど、兄弟として祈のことも禊のことも心配だったから敢えて口出しをした。

「ノリくんさ、みーさんに……何かした?」

「私が?何を?」

普段生真面目な祈にしては珍しく揶揄うような……というより、嘲笑うような口調だった。

俺は緊張で乾く唇を少し舐めた。なんか怖いな、これ以上踏み込みたくない。

「……いや、なんでもない。くれぐれも喧嘩とかしないでね」


昔から感じていた。俺と兄ふたりの間には一本の線が引いてある。長男と次男の間にはない線が、俺との間にはくっきり見える。

禊と祈が三歳差なのに対して俺は祈の六つも歳下だから差がない方がおかしいんだろう。それでもあまりに埋まらない溝というか……さっき来た刑事さんにも話したけど、禊と祈は互いしか見えてないふたりの世界にいる。

今回祈の結婚話から、急にその俺とふたりの間にある境界線が濃く強くなってしまった気がした。

もう三人で正月に揃って炬燵を囲むこともないのかな。ノリくんが仕事のことダラダラと愚痴って、俺がそれをわざと茶化して、みーさんが優しく諌めてくれるあの時間、もう二度と来ないのかな。

かなり寂しかったけど、その時はあんまり考えないように心掛けた。俺はうじうじするのも感傷的になるのも嫌いだから。

元カノはバイクで迎えに来た。前に会った時は茶髪の腰まであるロングだったのに金髪のショートボブになっていて、香水もクロエのノマドに変わっていた。

ふたりでコンビニでおでん買ってその子の部屋で食べて、セックスしてからさっさと寝た。



それから二か月経った頃かな、歳上の少しセレブなお姉さんの家に居候してる時、彼女が行きたいところあるっていうから付き合うことにした。

市内のアートギャラリー……美術館と違って入場は無料だけど絵を買う人は買うみたいな……要は絵を売る場所らしい。俺そういうの詳しくないけど。

お姉さんが言うにはすごく貴重な絵が展示されてるとかで……まあその時点で予想はついてたけど、そのギャラリーには禊の作品しか置いていなかった。

小ぢんまりとした煉瓦造りのギャラリーの奥には、人集りが出来ていた。絵を見て帰る人たちがこぞって「あれは最高傑作だね」「素晴らしい作品だ」と褒めそやしていた。泣いている人もいた。

禊の絵は綺麗だけど人を選ぶから、こんなに手放しでみんなが褒めるなんてどんな作品だろうと俺も少しわくわくした。

それはギャラリーの一番奥に飾られていた。

大きなキャンバスに、男の人が横たわっている構図だった。その周りに色とりどりの花が咲いていた────お葬式みたいに周りに敷き詰めるんじゃなくて、花畑の中にゆったり寝そべってるみたいな優しい感じだった。

男の人の口元にはホクロがあった。祈と同じ位置に。とても柔らかい表情だけど、それは確かに祈だった。

これは祝福だ、と思った。祈が生まれたことに対して、祈が今存在していることに対して、そして禊自身が祈を愛していることに対しての祝福だ。

気がついたら俺は泣いていた。絵に感動したわけじゃない。祈と禊のために何もしてあげられない、無力な自分がすごく悔しかった。

祈はこの絵を見たの?こんなに自分が愛されているって、こんなに存在を祝福されているって知ってるの?どうして禊は絵を描くのをやめたの?絵でこんなに愛を表現することができるのに、なんで急に筆を折ったんだよ。

一緒に来たお姉さんがハンカチを差し出してくれて、俺はそれで涙を拭った。でもなかなかそれは止まらなくて、結局彼女を残してひとりでギャラリーの外に出た。

一月の寒さは涙で濡れた頬に痛かった。俺は寒さを誤魔化すために煙草に火をつけた。

煙草の煙につられて顔を上げると、雲ひとつない昼の空に細く三日月が浮かんでいた。

ここで俺の話は終わり。俺に出来ることは、きっと兄さんたちの幸せを願うことだけだから。



(終)



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