「そういえばお前、“あれ”どうした?」
唐突な菰野乃木の問いかけに伊妻が首を傾げていると、なぜ分からないのかとばかりの仏頂面で自身の眼帯を指差すものだから、ようやく彼が自身で引きずり出して伊妻に『餞別』として渡した眼球の話だと合点がいった。
「あれはね、食べちゃった」
「そうか、食べたか」
特に驚くことなく菰野乃木は頷く。彼の中ではその回答で満足だったらしく再び本を読む作業に戻ってしまったので、伊妻は逆に問い返すことになった。
「驚かないの?」
「まあ食べるかな、と思っていた」
だから口に入れてやっただろ、と当然のように菰野乃木はそう答えた。
「エーッ?なんで食べたがってるって分かったの?」
「お前がこの目を見る時、」
残った右の目が伊妻の薄青の目とかち合う。
菰野乃木の瞳は相変わらず暗く静寂な、しかしどこか湿り気を帯びた森の奥のような暗澹だ。花一輪咲くことのない、陽の光の届かない美しい闇。
じっと見つめていると、菰野乃木は両手で伊妻の頬を挟み込んだ。
「そう、その顔だ。お前は俺の目を見ている間は腹が減ってる時と同じ顔をする」
「……そうなの?鏡を見るわけでもないから自分の表情までは分かんなかったよ」
ふふん、と菰野乃木は嬉しそうに鼻を鳴らした。
「俺はお前のその顔が好きだ。お前も人間を見て腹が減るのだと思うと嬉しくなる」
至近距離で見つめあったまま恥ずかしげもなくそう宣うので、なんだか今自分がどんな顔つきをしているのか気になってしまう。自身の口元に触れるが、いまいち表情がどうなっているのかは分からない。
「もうひとつもちょうだいって言ったらくれるの?」
照れ隠しに話題を変えつつ眼帯をしていない右目の下瞼をそっと指でなぞると、菰野乃木は幼子を慈しむかのように眉を下げて微笑んだ。
「やるよ。お前が欲しいなら全部やる」
「……まあその言葉が欲しくて聞いたけど……でもアンタの目はアンタの顔にあるほうが綺麗だから、そのままでいてね」
伊妻は溜息をついて、菰野乃木の体を抱き締める。死体のような冷たい体温と飴を煮詰めたような甘い死臭に包まれると母親の胎の中にいるような安心感を覚える。
「ずっとそのままで、死ぬまで絶対に俺の傍にいて」
「分かった。お前がそういうなら」
逞しい腕が背中に回され、抱き締め返される。長年感じていた焦燥感と殺人衝動は、夕匕尸島での一件を境に一切掻き消えてしまった。
それが寂しいような、嬉しいような気持ちになりながら伊妻は菰野乃木の体に体重を預けて目を閉じた。
(終)