これは幼い頃、『坊ちゃん』がまだ少年だった時分の話である。
彼は祖母がイングリッシュローズの手入れをしているのを見るのが好きだった。
麗らかな春の陽気に照らされ、白いワンピースを着た祖母は薔薇の剪定をしていた。純白のワンピースに負けないくらい白い肌に、薄く引いた桜色の口紅がどこまでも清楚な人だった。
「あなたは本当に薔薇が好きね」
『坊ちゃん』は祖母の静かな喋り方も好きだった。祖父も父も兄たちもみな声量が大きく賑やかで好きだが、囁くようにゆったりと喋る祖母の上品さは一際輝いて見えた。
「薔薇じゃなくて、ぼくはおばあ様を見るのが好きなのです!」
『坊ちゃん』は木陰から白い薔薇をより分ける祖母をじっと見つめてそう言った。
すると祖母は幼い孫に目をやって、少し眉を下げて困ったように微笑んだ。
「それは困ったわ。あなたのそんな言葉を聞いたら、濠蔵さんが嫉妬してしまう」
濠蔵は祖父の名だった。祖父は祖母を溺愛していた。この広い薔薇園も祖父が祖母との結婚記念日にプレゼントしたものだと聞いた。
「しっと、とはなんですか?」
『坊ちゃん』が首を傾げると、祖母は剪定鋏を置いて彼の傍にしゃがみこんだ。
「『やきもち』ならわかるかしら。好きな人が他の人を見ていたら、嫌な気持ちになることを言うの」
「おじい様が、ぼくにやきもちを焼くのでしょうか?」
祖母は剪定した薔薇を一本手に取り、『坊ちゃん』に手渡した。白い薔薇は棘を全て取ってあったので、彼の柔らかな手が傷つくことはなかった。「いつかあなたにも心から好きな人が出来たらわかるわ」
『坊ちゃん』は受け取った薔薇に鼻を近づけて匂いを嗅いだ。目眩がするような深く甘い香りがする。
「誰かを『綺麗な花みたいだ』と思ったら、その人を薔薇みたいに優しく扱うの。棘を抜いてあげて、愛を込めて、いっぱいお世話をしてあげるのよ。濠蔵さんは……あなたのおじい様はいつもそうしてくださるわ」
「……おじい様は、もしも『しっと』をした時はどうなさるのでしょう!」
ふと疑問に思ったことを尋ねると、祖母は苦笑して立ち上がった。
「そうねえ、あの人なら……」
剪定鋏を手に取って、彼女は柔らかな笑顔のまま虫が食った薔薇を頭から切り落とした。 じょきん、と鋭い音がして、彼女の白いパンプスの足元に薔薇が転がる。
「きっとこうなさるわね」
「────で、お前は爺さんと同じことを実行してんの?」
恋人は白いシーツに寝転がったまま小さく溜息をついた。『坊ちゃん』がまるで御伽噺かのように語るピロートークにしては酷く物騒な思い出話に、恋人は辟易していた。
「まさか、とんでもない!薔薇を切り落とすのは比喩表現にすぎませんよ」
『坊ちゃん』は愛おしそうに微笑み、恋人の少し癖のある黒い髪を指で梳いた。
「俺は直接頭を切り落としたりはしませんから」
────間接的にはやってるな、これは。
『坊ちゃん』の倫理観の欠如に呆れつつも、恋人は咎めるような言葉を吐かなかった。彼の愛と献身を咎めるような棘は、『坊ちゃん』に一本残らず綺麗に抜き取られてしまったからだ。
「……悪くねえ、って思っちまう俺も俺か……」
ボソリと呟いた言葉が聞こえなかったのか、『坊ちゃん』はヘーゼル色の瞳を丸くして首を傾げたのだった。
(終)