その日、夕飯後に禊がおずおずと差し出してきたのは一通の白い封筒だった。赤い封蝋の押されたやけに高級そうなそれの中身を開き、祈は眉を顰める。
「……ホテルの創立記念パーティー?」
「僕の絵をホールでお披露目するから出席してくれって、深山くんが」
祈はパーティーという言葉の時点でただでさえ渋かった顔つきを、深山の名を聞いた途端更に険悪なものにした。
「兄さんは……彼に会いたいんですか」
禊は祈の言葉端から強く滲む嫉妬を感じ取り、胸が高鳴り熱を持つのを感じた。祈に嫉妬された時の感覚はいつも同じだ。「申し訳ない」がほんの少しで、「嬉しい」は抱えきれないほど。しかし弟を騙すのも気後れして、禊は早々にネタばらしをすることにした。
「深山くんと二人では会わないよ。……というか、招待状は二枚あるんだけど」
そう言ってもう一通の招待状を取り出した禊の言葉の意味がわからず、祈は首を傾げた。深山に嫌われている自覚のある祈は、まさか自分が招待されているとは思わなかったのである。
「……深山が重複して送ってきた、ということですか?」
「そんなわけないでしょ。僕とお前の分だよ」
まだ理解しきれずに眼鏡の奥の瞳を瞬かせる祈を見て、禊は嬉しそうに目を細めた。
「ねえ、パーティーで着るスーツお兄ちゃんに選ばせてくれる?」
ああ、と祈はようやく合点がいった。禊は深山に会いたい訳ではなく、パーティーを口実にして祈に新しい服を誂えたいのだ。
祈の兄はいつもそうである。何かと理由をつけ、弟に目を剥くほど高価なものを買い与えたがる。
「……新しいものを買わなくても普段使ってるスーツがありますから」
「いやいや、折角だからオーダーメイドスーツを作ろうよ!靴も新しく買おう!勿論お兄ちゃんが出すから!」
禊が出すから渋っているのだが、兄は期待にきらきらと目を輝かせ、祈に着せるスーツについてロロピアーナがどうだのジランダーだのとよく分からない用語を羅列している。
あまりに嬉しそうなその姿を見ていると断りづらくなり、祈は口元をもごつかせた。
「あぁ……私はあまり高いものは……その……」
「お兄ちゃんが出すから大丈夫!」
────完璧に押し切られてしまった。
翌日は朝早くに禊に叩き起こされたかと思うと車に乗せられ、あれよあれよという間に老舗の仕立て屋が並ぶラグジュアリーな通りに連れて行かれた。
店で見るのにも時間がかかるのは分かっていたが、フルオーダーだったからかカウンセリングも含めて三時間以上かかった。禊が素材や色を悩む時間も含めると五時間に及んだが、祈自身採寸で始終慌ただしくしていたために時間自体は一瞬で過ぎ去った。
「スーツが仕上がるのは一か月後だよ」
車に戻り、家に帰る途中にさらりと禊がそう言った。祈は目を丸くして、スマートフォンのカレンダーを開く。
「え?それって……パーティーの日には間に合わない時期じゃないですか」
「そう。だからパーティーはもう断ってあるんだ」
「……兄さん、本当に私の服が買いたかっただけですか……」
満足そうに微笑む禊の横で祈は呆れてメガネのテンプルを指で押し上げた。恋敵である祈と言えど、今回ばかりは流石にダシにされた深山に同情する。
「だってかっこいいスーツを着た祈、僕以外に見せたくないし」
「じゃあ今日作ったスーツはいつ着るんですか」
「……寝室で?」
ふふ、と妖しく笑う兄に耳元で囁かれ、祈はこの人には敵わないなと改めて思い知るのであった。
(終)