伊妻は菰野乃木に対して、俺だけのものにしたいな、と常に感じている。
菰野乃木は自身の見た目に無頓着だ。自分の容姿や言動がいかに他人を魅了しているかを識らないし、分かろうともしない。
眼球をひとつ失っても五歳年をとってもその魅力は色褪せない。寧ろ歳を追うごとに格段に増しているようにも思える。かけす出版の編集長である長曾根が「柊野哉太」に対してしきりに顔出しを提案するのも頷ける。
────もちろん伊妻としては彼の顔が知れて不特定多数から懸想されるのは何としてでも阻止したいところだが────。
菰野乃木に恋心を受け入れられた時から伊妻の殺人欲求は霧散するように消え失せてしまったが、その一方でこの無防備な恋人への独占欲は強まるばかりだった。
伊妻のそんな気持ちを知ってか知らずか、ある日突然菰野乃木が自身の耳朶を触りながら言った。
「……ピアスを開けたいと思う」
「いいね。でも……どうして?」
菰野乃木はそっと指先で伊妻の耳に填められたオブシディアンのピアスを撫でる。
「お前とお揃いにしたいんだ。穴もお前が開けてくれ」
それは魅力的な提案だった。殺人衝動は消えたとはいえ、そもそも伊妻は嗜虐心が強い。恋人の体に自身の手で穴を開けるなど、実に唆られる官能的な行為だ。
「……いいけど多分痛くするよ、俺」
「痛くしてくれ」
菰野乃木はソファに座る伊妻の膝の上に乗り上げると、彼の首の後ろに手を回して抱きついた。
「……俺はお前に傷をつけられるのは好きだよ」
「そういうエロいこと言うのやめて、まだ昼だから」
頬が熱を帯びるのを感じつつ、菰野乃木の赤い髪を撫でる。そのまま少し尖った耳の縁を指先でなぞり、ゆっくり下へと指を滑らせていく。耳朶の柔らかな表面を何度か指の腹で押した後、力を込めてきつく爪を立てると菰野乃木が小さく息を詰めた。
「ッ……」
「ああ……可愛い。早くここに針を刺したいな」
「俺は今すぐにでもやってほしい」
「んふふ、そうだね……ニードルも予備のピアスもあるから、今開けちゃおうか」
赤く爪の跡がついた耳を、今度は慰めるように舌で舐め上げる。ざらついた舌で耳の縁をなぞられてぞくぞくと背筋が痺れるような感覚が走る。
「ん……ッ」
「お前は耳が弱いよねえ。聴覚が鋭いからかな」
「耳、はっ……音が脳に直接響いて……っ」
ナチュラルASMRじゃん、と伊妻は笑って菰野乃木の耳の穴にふう、と息を吹きかけた。
「ひ、」
「あは、本当に敏感だね」
びくり、と震えた背中を抱きしめると、そのままそっとソファに座らせる。
「待っててね」
菰野乃木の額に口付けると、ソファから立ち上がり洗面所の棚から必要な道具を揃えてトレーに乗せる。アルコールと脱脂綿を用意した後、普段持ち歩くジュラルミンケースの中から細いニードルを取り出しアルコールで丁寧に消毒した。『鈴木』の家には未使用のチタンピアスを自分で使うつもりで買って置いていたため、それも袋から出す。
菰野乃木は大人しくソファに腰掛けたまま伊妻を待っていた。伊妻は道具を乗せたトレーをソファの前のローテーブルに置くと、菰野乃木の隣に腰を下ろす。
「消毒するから動かないでね」
伊妻はアルコールを含ませた脱脂綿を菰野乃木の耳朶に触れさせる。ひんやりと濡れたアルコールの刺激で伊妻に爪を立てられた部分がヒリつく感覚を覚える。
両耳を丁寧に拭くと、ニードルを手に持って耳垂の中心あたりにその切っ先を当てる。
ぷつり、と皮膚が破ける音とともに、火傷にも似た痛みが耳朶に走る。正面を向いているので伊妻の顔は見えないが、いつもより早い鼓動が彼の興奮を伝えていた。
「痛い?」
「うん。痛い」
自分で爪を剥いだり目を抉り出した菰野乃木がピアスのニードルを通しただけで痛いなどというのはおかしな話だが、自分自身でもたらす痛覚より伊妻に穴を開けられる痛みは実に鋭く甘美だった。穿たれた部位が脈動して、疼きを帯びた熱を持つ。
伊妻はゆっくりと時間をかけてニードルを根元まで通してしまうと、ニードルの先端にピアスを当ててそのままピアスを開けた穴に通した。ピアスキャッチを填め、満足そうに微笑む。
「次は反対ね」
菰野乃木はまだ穴の開いていない左耳が見えやすいように微かに首を傾ける。伊妻は左の耳垂にも同じようにニードルを通し、ピアスを填めた。
「OK。もしもズキズキ痛むのが続いたり膿むようならすぐに言ってね」
伊妻はそういうと、大人しくしていたご褒美、とばかりに菰野乃木の唇に触れるだけの口付けを落とした。
「……ズキズキはあまりしない、が……」
菰野乃木は困ったように眉根を寄せて自身の耳の縁に触れた。
「すごく熱い……心臓がドキドキして、息が苦しい」
彼は胸に手を当てると、熱に浮かされた瞳で伊妻を見上げた。
「俺はお前のものだって分かって嬉しい」
「だからさあ、あんま煽るようなことを昼間から言うのやめてってば……」
溜息をつきつつも伊妻は菰野乃木の体をソファに押し倒し、その胸に耳を当てた。
「ふふ、本当だ。いつもより鼓動が早いね」
この心臓の鼓動が自分だけのものだなんて、なんという贅沢なのだろう。
────ファーストピアスを外したら今度は石の填まったいいピアスを買ってあげよう。俺の目と同じ色の石でできたピアスを。
菰野乃木の厚い胸板に耳をつけたまま、伊妻は充足感と共に目を閉じた。
(終)