獰猛なケーキ




※ケーキバースAUイヅノギ



伊妻の親友は人間を食べる側であり食べられる側でもあるという奇異な存在だ。

普通の人間の食物を口にしても砂を噛んだような感覚しか得られずケーキの体と血肉でしか食の喜びが満たされないフォークと、フォークの渇きを唯一満たすことができる稀有な人間、ケーキ。その捕食者と被捕食者の関係から逸脱して、血と肉の味しかしないただの人間を殺して食べる獰猛な被捕食者ケーキ────それが菰野乃木佳史だった。


伊妻は菰野乃木に対し、一口では言い表せない様々な感情を抱いている。可愛い、愛している、大切にしたい、虐めたい、殺したい、食べたい────それらすべてを胸中にひた隠して、伊妻は菰野乃木の友人の顔を作っている。

なぜなら、伊妻冬吾は後天性のフォークである。この事実だけは、親友に秘匿しなければならない。

後天性と言った通り、生まれた頃からフォークだった訳ではない。幼い時分は普通の食物でも味覚を感じていた。

いつからだろうか。どんな食べ物を口にしても舌が凍りついたかのように何も感じなくなったのは。

いつからだろうか。ただ愛と性欲を押し殺すだけだった親友を相手に、殺意と食欲も重ねてひた隠すようになったのは。

菰野乃木は気付いていない、と思う。少なくとも伊妻はそう願っている。伊妻は菰野乃木の作る食事を毎日笑顔で口に運んでいるし、極端に痩せて彼に気付かれないように味のしない食べ物を必死で腹に詰め込んでいる。


その努力が瓦解したのは、菰野乃木がケーキの女を殺した時だった。

いつも通り菰野乃木宅に訪れた伊妻は、部屋中に漂う甘い芳香に文字通り噎せ返った。口元を袖で覆い咳をする伊妻の姿に、菰野乃木は不思議そうにその暗い瞳を瞬かせた。

「……大丈夫か?」

「う、ん……。悪いけど、……少し体調が……」

そうか、と頷くと菰野乃木は何事も無かったかのように首を裂かれた女を逆さ吊りにして血抜きを始めた。

「……俺、今日は、ッ……帰るね」

「なぜ?お前も夕飯を食べていけばいいのに」

菰野乃木は吊られた女の真下にバケツを置きながら薄く微笑んだ。

「今、……食欲なくて」

嘘だった。本当は口を開ければ涎が滴り落ちそうなほどに空腹を感じていた。呼吸をする度に女の甘い匂いを肺いっぱいに吸い込んでしまい、くらくらと目眩がする。────ケーキがこの場に二人。しかも片方は血を流しているせいで匂いが室内に充満している。一刻も早くこの場を去らなければフォークであることが菰野乃木にばれてしまう。

「伊妻、俺はわざとケーキの女を選んだんだ」

菰野乃木は宙にふらふらと揺れる女の頭を掴むと、力を込めてその頚椎を捻じ折った。ごきん、と鈍い音を立てて女の首が折れ、ちょうど喉元の傷からめりめりと裂けるようにして体から頭が引き千切られていく。

完全に女の頭を首から離してしまうと、それをまるでビアズリーの描いたサロメのように恭しく両手に抱え、目を細めてみせる。

「どうぞ、召し上がれ」

伊妻は強い渇きを覚え、ふらふらと覚束無い足取りで菰野乃木の目の前に立つとその腕を乱暴に掴んだ。思わず生首を取り落とした菰野乃木の唇に噛み付くと、そのまま縺れ合うようにして床へと押し倒す。唾液が蕩けるように甘い。触れ合う舌も、脳髄が痺れそうなほど美味だった。

「んッ、……俺の方が、美味そうに見えたか?」

「いつから……分かってたの?」

息を切らしながら問いかける。菰野乃木が答えようと口を開くが、耐えきれず伊妻は再び唇を塞いだ。

美味しい。もっと食べたい。今手で触れている胸を引き裂いて直接口をつけて血を啜って、心臓を飽きるまで咀嚼したい。降って湧いた凶悪な欲求に目が眩む。

不意に伊妻は自分が菰野乃木の舌に歯を立てていることに気付き、慌てて飛び退いた。

口の中にまだ甘露のような血の味が残っている。口元を拭い、ごくりと唾を飲む。

「……お前がフォークになったであろう時から分かっていた。お前の匂いが変わったから」

菰野乃木は言いながら、自身の口端を伝う血を舌で舐め取る。さっき伊妻が問うたことに答えているのだと気付くまでに時間がかかり、伊妻はその場に呆然と立ち尽くしていた。

「お前が俺を物欲しそうに眺めているのも────悪い気分ではなかったが気付いていた。しかしいつかは打ち明けてくれるものだと思っていたのに、お前は頑なに本当のことを言わなかった」

「だって、嫌でしょ……ケーキにとって、フォークが近くにいるのは」

菰野乃木は首を左右に振った。

「お前なら嫌じゃない。俺を食べたいのならこの命なんぞくれてやってもいい」

「嫌だよ俺は……アンタのこと好きだから殺したくない」

伊妻は自らの顔を両手で覆った。目の前の男を殺して喰らいたい衝動と同時に襲ってくる、「受け入れてもらえて嬉しい」という仄暗い悦びに悍ましさを感じて苦しかった。

菰野乃木を殺したくない、それは事実だ。生きたままずっと傍にいてほしい。他の人間に感じる単なる愛着とは違う、確かに彼に対して唯一無二の愛情を抱いているのに。

「俺は嬉しかった」

ふと気付くと菰野乃木に腕を掴まれていた。視線を上げるとあやすように口付けを落とされ、抱きしめられる。砂糖菓子のような柔らかく甘い香りに包まれて、思わず吐息が漏れる。

「俺が人の肉でしか飢えを満たせないようにお前もケーキでしか飢えを満たせないなんて。お揃いみたいで嬉しいよ」

「……菰野乃木さん……嘘ついててごめん」

伊妻は言いながら菰野乃木の喉元の傷に唇をつけた。

「……アンタのことを食べたい」

「好きにしろ。この体、お前にやろう」

伊妻を抱きしめたまま菰野乃木は自身のシャツのボタンを片手で器用に開けて、胸元を開いた。

筋肉と適度な贅肉でふっくらとした胸筋に緩く歯を立てて、甘噛みする。舌で舐めあげると菰野乃木が小さく息を詰めるのが分かった。

伊妻は吐息と共に掠れた声で呟いた。

「愛してる」






血に濡れた口元を拭う。未だかつてない充足感に伊妻は嘆息して、同じベッドに生まれたままの姿で寝転がる菰野乃木の体を抱きしめた。

「本当に食べてよかったのに」

伊妻が自分ではなく女の死体を食べたことが菰野乃木にとっては少なからず不服なようだった。その不貞腐れた表情すら可愛くて、菰野乃木の頬に触れるだけのキスをする。

「言ったでしょ、好きだから殺したくないって。────それにアンタのことは別の意味で食べたから満足かな」

散々抱かれても「食べる」の性的な比喩表現が分からないのか、菰野乃木は気怠げに遠くを見つめたまま小首を傾げた。

「お前がやったことは全部気持ちいいだけだった」

「そう?あちこち思いっきり噛んだりしたでしょ」

菰野乃木は伊妻に噛まれてまだ血の滲む喉元の傷を愛おしそうにさすった。

「それも、悦かった」

「……あのさあ、無自覚で煽るのやめて……」

顔が熱くなるのを感じ、伊妻は自身の頬に掌を当てる。

「……俺たちフォークとケーキだけど……恋人になってくれる?」

「言ったはずだ。この体はお前にやると……だからお前の望むものに俺はなるよ」

その言葉も、絡み合う視線も彼の血肉と同様に甘美だった。伊妻は性懲りも無く込み上げてくる劣情と食欲に、再び菰野乃木の唇へとかぶりついた。



(終)



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